星に願いを☆ミ

ただ、静かに暮らしたい。

私たちが物語を必要とする理由

f:id:alcoxxxx:20180106224746j:image

▪️魔女宅に感じる理不尽

ジブリ作品など、児童向けと思って観ていると思わぬ火傷(やけど)をすることがある。

(もっとも、今となっては「ジブリは子供だけの物ではない!」という空気だけど)

 

私は『魔女の宅急便』でジジが人間の言葉を急に話さなくなるシーンが嫌いだ。

そもそも猫にそんな機能はないのに、「でも、この物語では猫は喋るんですよー」と、わざわざ教育を施してからのこの仕打ち。

なんという残酷な仕掛け!

 

しかし、これに文句を言っていては、全ての創作物(小説、漫画、映画、ドラマ、……)に対してアンチテーゼを唱えることになってしまいます。

 

▪️多少の手間をかけても物語を求める現代人

私たちはわざわざ本を購入したり、映画館へ足を運んでお金を払っては、それまで知らなかった登場人物(キャラクター)を知り、不憫な目に遭っているのを見て、泣いたり、怒ったり。そんなものさえ知らなければ良いようなものを、やる。

 

勿論、TVやネットであれば無料で視聴が可能ですが、この多忙な現代において、時間を取ってそれをやるというのはなかなかエネルギーがいることだと思いませんか?

平成が30年目に突入し、これだけテクノロジーや文明が発達しても変わっていないのです。

 

創作物を鑑賞するというのは、わざわざ知り合いを作って、「あー、かわいそう」、「わぁ、よかったねぇ!」などと、感情を無理矢理、共有することに他ならないと思っている。

 

考えてみてほしい。

 

ジジが最初から「ニャー」と鳴いていれば、ジジが「ニャー」と鳴くことに切なさを感じることはなかったし、そもそも存在を知らなければ良かったのである。

ネロとパトラッシュの存在を知らなければ感情を少しも動かされることはなかった。『ごんぎつね』だって、存在さえ知らなければどうってこともないのである。

我々がやっていることはこうだ。

 

「へぇ、君はネロ。この犬はパトラッシュっていうんだね!」

「えー!なんで死んじゃったの!?かわいそう!」

 

これを死ぬまで繰り返すし、なんなら伝統芸能よろしく、子孫や他人にまで受け継いでいる。

実に不可解である。

 

しかし、何の因果か私は魔女宅を観た〇年後に「作る方」になることとなった。 

 

▪️「作る側」になってわかった物語を作る理由

作る方になってから、何を考えていたかと言うと、

  •  俺はこれを伝えたい!      90%
  • 売れたい                              9%
  • とりあえず何かザワつかせよう(無駄な死や暴力シーンを入れてみる)    1%

という感じで、他のクリエイターにしても無闇に人を泣かせようとは思っていないと思うのです。

とにかく、伝えたいことが山ほどあるのが創作者(神)なのですが、その為には魅力的なキャラ(神の使い)を作らなくてはなりません。

その結果、あなたの大好きなあのキャラが生まれ、酷い目に遭ったりするわけです。

 

今となっては、物語中、ジジが喋らなくなった理由が何となくわかる(ここに書くと陳腐になってしまうというのもわかる)わけですが、現実でもわざわざ他人と親しい仲になり、破局や離婚、死別を経験するのです。

そこにこの21世紀、AIが人間の仕事を奪う時代になって、今尚、人々が映画館に足を運ぶ理由のヒントがあるように思います。

 

 いつかは割れるとわかっている茶碗を愛で

 いつかは老いるとわかっている美女を娶(めと)り

 いつかは死ぬとわかっている動物を飼い……

 

▪️もはや絵空事ではない新たな選択肢。醒めない夢は幸せか?

正直に言うと、私は子供じみた人間なので、ずっと話し続ける猫の方が良いし、ずっと空も飛んでいたい。

そして、奇しくもまぁまぁ実現可能な時代になってしまった。

 

 外観はほぼ同じなのに割れない茶碗

 20代にしか見えない50代の妻

 死なないペット……

 

今はグロテスクなように思うが、当然、こちら側を選択する人もいるだろう。

 

終わらないファンタジーと

儚くも美しく、刺激的な現実世界。

 

──今後、選択肢が増えるとしたら、あなたはどちらを選ぶだろうか?

 

真っ当な大人になったつもりで想像してみた。

ちょっとだけ絶望して苦笑する。

答えはだいたい出ているような気がした。