星に願いを☆ミ

ただ、静かに暮らしたい。

犬派? 猫派? どちらでもいいけれど…

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先日、SNSサイトに猫のニュースが流れてきたので、猫好きのある子はすぐさま「イイネ!」を押し、「この猫、かわいいですね! 私は猫が大好なんです」というようなことをコメントしました。

すると、そのニュースを流していた方から、「実は私は犬派なんです。 でも、この猫はかわいいですね!」という返信が…。

うーん、自分から猫のニュースを流しておきながら…とは一瞬、思いましたが、それでも犬派であることを主張せずにはいられないという『愛』。 これは素晴らしいことですね笑

しかし、困ってしまうのは、

「世の中には犬派の方が多い。 有名人が飼っているのもほとんど犬だ。 “犬より猫の方がかわいい”なんて言う人は変だ」

という、“押し付け派”の人たち…。


実際、猫派の人たちも「どうやら世間は犬派の方が多いらしい」ということは、うすうす勘づいています。

しかし、私にはどうしても猫の方が圧倒的に可愛く見えてしまうのです。

人間に例えるのなら、犬が菊〇亜美ちゃんや鈴〇奈々ちゃん、猫が佐々木希ちゃんと言ったところでしょうか。 もう、ダントツにかわいい! 犬が可愛くないのではなく、猫が可愛すぎるのです。

もちろん、犬派の人は「逆だ!」と言うだろうし、「いいや、菊〇亜美ちゃんの方が可愛い!」と思う方もいるでしょう。

何が言いたいのかと言うと、そういった気持ちは「嘘ではない」し、「自由だ」ということです。

それを、「私は〇〇の方が可愛いと思うけど、あなたは△△の方が可愛いと思うのね。 ふーん」で済ませれば良いと思うのですが、世の中には、「〇〇が可愛いに決まっている! △△が可愛いと思う人なんて、絶対におかしい!」と言ってくる人がいるのです。 そうなってくると、なんだか暴力的だなぁ、と思いませんか?

これが、主語が大きくなって、例えば〇〇の所に宗教や人種などが入りますと、差別や戦争になります。

「またまた、そんな考えすぎちゃって!」
と思われるかもしれませんが、根本はそんなに変わりません。 しいていえば、「なんとなく嫌!」っていう気持ちに、いろいろ論理的な理由を付けて相手を攻撃するのが大人と呼ばれる人種なのではないでしょうか。

社会に出ると、様々な場において、“劣っている”とか“優れている”とか評価をされてしまいます。 しかし、それは何てことはない、単に『違っている』というだけの場合がほとんどです。

特に女性は、仕事だけではなく、プライベート面までなぜか見られがちで、“結婚している”、“結婚していない”、“年齢が上だ”、“年齢が下だ”、“外見が優れている”、“外見が劣っている”…と本当に、仕事と関係のない所で判断されがちです。

先日はマタハラ裁判のニュースが話題になりましたが、正直、「女性が社会に進出してからもう、随分経つのに未だにこんなことで争っているのか」と、ガッカリしました。

仕事をしている人だけでも、性差だけでなく、既婚か未婚か、更には子持ちかそうでないか、…などライフスタイルがこれだけ多様化しているのに、「自分と違う人を受け入れられない」、「認めたくない」という、鎖国の精神が邪魔をしているのかなーと思います。

「ママ友」なんていう物もそうです。
あれで、本当に仲が良くて上手くいっている、なんて話を聞いたことがありません。 “既婚”、“子持ち”と言った、ほぼ状況が同じ場合ですら上手く言っていないということは、日本人はどうやら「他者との間にすぐさま上下関係を作り出しては一喜一憂する」民族と言って差し支えがないのではないでしょうか。

と、言うことは、つまり、相手が誰であろうと変わらない、ということです。

すぐさま、

「この人は私とは違う。 かと言って、自分より劣っているのでも、優れているのでもない。 ただ、違うだけだ」

という考え方を身につけない限り、女性の本当の意味での社会進出は難しいと言えましょう。

具体的には、私なんぞが偉そうに言えることではありませんが、できるだけ自分とは違う立場の人(主婦であれば、ワーキングマザー、シングルマザー、独身OLなど)と関わりを持ち、企業は外国人の受け入れを積極的にするべきかな、とは思います。(今の日本企業は黒人が一人でも入社したら、あたふたしてしまう会社ばかりではないでしょうか)

“英会話より、先ずは多民族国家的な感覚を身に付けるべきでは?”

心が鎖国していたら、英語が話せても意味ないですよねー。 同じ会社の人すら受け入れられなくて何が国際化だ〜!\\\└('ω')┘////